青葉 茂 れる 桜井 の 歌詞。

老いたる【おいたる】 老い【おい】:[古語]老。 ヤ行上二段活用動詞「老(お)ゆ」之連用形。 『桜井の訣別』の作詞者は、(おちあいなおぶみ)で、作曲家は奥山朝恭(おくやまともやす)とされる。 まるちゃん(私)は、昔の歌が大好きです。 そして、日本人の魂を形成してきた高貴なる先人たちの思いを守り通していくことで。 歴史上よく知られた南朝方の武将、楠木正成とその子、正行についてのエピソードをうたっている。 これが今の日本人にとって、必要なことではなかろうか? 常にこの歌を心の片隅にとどめ置くこと。 陸前伊達藩、鮎貝家(あゆかいけ)に生まれ、落合直亮(おちあいなおあき)の養子となる。 22テレビネコチャンネル「ミナミの帝王」のセリフで聞いた) これは替え歌ではなく一種の駄洒落のようなものである。
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幼名は「亀次郎」で、後に鮎貝盛光と名乗ったらしい。

歌詞 一. 青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ 木 こ の下陰 したかげ に駒とめて 世の行く末をつくづくと 忍ぶ鎧の袖の上 え に 散るは涙かはた露か 二. 正成涙を打ち払い 我子 わがこ 正行呼び寄せて 父は兵庫へ赴かん 彼方 かなた の浦にて討死 うちじに せん 汝(いまし)はここまで来 きつ れども とくとく帰れ故郷へ 三. 父上いかにのたもうも 見捨てまつりてわれ一人 いかで帰らん帰られん この正行は年こそは 未だ若けれ諸共 もろとも に 御供 おんとも 仕えん死出の旅 四. 汝をここより帰さんは わが私 わたくし の為ならず 己れ討死為さんには 世は尊氏の儘 まま ならん 早く生い立ち大君 おおきみ に 仕えまつれよ国の為め 五. この一刀 ひとふり は往 いに し年 君の賜いし物なるぞ この世の別れの形見にと 汝にこれを贈りてん 行けよ正行故郷へ 老いたる母の待ちまさん 六. 共に見送り見返りて 別れを惜む折りからに 復 また も降り来る五月雨 さみだれ の 空に聞こゆる時鳥 ほととぎす 誰れか哀 あわれ と聞かざらん あわれ血に泣くその声を 湊川の戦い 1336年 楠木正成・正行(まさつら)親子の「桜井の別れ」からしばらくして、足利尊氏率いる大軍が湊川(みなとがわ/現・兵庫県神戸市中央区・兵庫区)に押し寄せた。

父を追って自決しようとした正行を、母は戒め……そして成長した正行。

事前調査事項 Preliminary research. 見捨て【みすて】:遺棄。

因みに太田道灌は室町時代後期の武将(1432~1486)で、この山吹伝説の地は埼玉県越生町 おごせまち とされているが真偽のほどは不明である。

そして東京の女学校に進学するため、地方から上京するのが別れの理由ということになっている。

作詞は落合直文。

1)青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ 木の下陰に駒とめて 世の行く末をつくづくと 忍ぶ鎧の袖の上(え)に 散るは涙かはた露か 2)正成涙を打ち払い 我が子正行呼び寄せて 父は兵庫に赴かん 彼方の浦にて討死せん いましはここ迄来(きつ)れども とくとく帰れ故郷へ 3)父上いかにのたもうも 見捨てまつりてわれ一人 いかで帰らん帰られん 此(この)正行は年こそは 未だ若ければ諸共(もろとも)に 御共(おんとも)仕えんの旅 4)いましをここより帰さんは わが私(わたくし)の為ならず 己れ討死為さんには 世は尊氏の儘(まま)ならん 早く生い立ち大君(おおきみ)に 仕えまつれよ国の為 5)此一刀(ひとふり)は往(いに)し年 君の賜(たま)いし物なるぞ 此の世の別れの形見にと いましにこれを贈りてん 行けよ正行故郷へ 老いたる母の待ちまさん 6)共に見送り見返りて 別れを惜む折からに 復も降り来る五月雨の 空に聞こゆる時鳥(ほととぎす) 誰か哀(あわれ)と聞かざらん あわれ血に泣く其(その)声を この詩の根底に脈々と流れる自国への思いや、お上に対する無垢なる思い。

かへらじと かねて思へば 梓弓(あずさゆみ) なき数に入る 名をぞとどむる 明治23年(1890年)には、正行を主祭神とする四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)が創建され、現在でも市民から「楠公さん」として親しまれている。

父との別れの後、息子の正行は父なき後も吉野側の忠臣として足利と戦い戦死します。

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